最短で外国語を習得する方法〜(前編)
中学3年間、
高校3年間、
日本では(当時)6年間学校で外国語(英語)を勉強します。
6年間学校で英語をやったとしても
悠長に話せるようになることはありませんでした。
グッモーニン!
ハロー!
サンキュー!
・・・くらいです。
しかし、
ブラジルに来て、
そして、現地の洗礼を浴びて、
トイレットペーパーを買えなかった私が、
3ヶ月でブラジル人の言葉を理解し、
6ヶ月で日常会話を話せるようになりました。
その秘訣ですが、、、
いくつかポイントがあります。
・環境
・遊び
・辞書
・漫画
です。
環境
話せるようになった
一番の要因といえば、、、やはり環境です。
私は、サッカーチームの選手寮に住んでいました。
ブラジルの国土は日本の約23倍なので、
全国各地から選手が集まっています。
私の部屋は6畳ひと間。
2段ベットが2つあり、
そこに4人で生活していました。
日本人1名(私)。
ブラジル人3名です。
(このデブのおっさんは、メディカルスタッフです。選手ではありません、笑)
毎日毎日、イヤでもポルトガル語が耳に入ってきます。
悪口なのか、
褒めてくれているのか、
何を言っているのか?わかりません。
とにかく、私を見て、笑われていたので
ルームメイトに何かを言われて、、、
テキトーに「OK」と答えたら、
私のミズノのサッカーシューズを取られました、涙。
(ブラジルでは、ミズノがめっちゃ高かった!)
後々、わかったんですが、
「貸してくれ」と言われて
「OK!」と返答したので、取られました。
向こうでは(?)
貸す = あげる
でした、笑。
(私がなめられていたということです)
そんな辛い経験の中、
「なんて言ってるんだ?コイツら」
「死ぬ気で覚えてやるからなっ!」と
涙ながら過ごしていた環境がありました。
遊び
給料が出たら、
ルームメイトが遊びに連れて行ってくれたので
外でも、たくさんのことを吸収できました。
治安最悪の中、よく遊びに行っていたと思います。
私が行っていた当時は、
ブラジル全土で電力が足りず、
(どういうこっちゃと思いましたが・・・)
犯罪が、
ブラジルの1日の犯罪数と
日本の1年の犯罪数が
イコールだといわれていた時期でした。
日本人は、19時以降外出してはいけない!
(お金を持っていると思われているため、真っ先に狙われる!)
と注意を受けました。
しかし、そんなことをいわれても
言うことを聞くわけありません。
ダメだといわれたら、そりゃー行きたくなりますよ、笑。
今思うと、、、若いってスゴい。
今なら、絶対にサンパウロの繁華街を歩けません。危なくて・・・。
外でもたくさんの経験をしました。
歩いていると、
バーでおっちゃんたちが立ち飲みしています。
テレビでは、サッカーの試合が流れている。
そこで、ワイワイ騒いでいます。
点を取って、歓喜。
下手なプレーをするとブーイング。
暴れ出すおっちゃんもいます。
「お前のトルシーダはどこだ!?」
(お前はどこのファンだ!?)
と、
コワモテのおっちゃんに聞かれて
「えっ!?」
(やべっ、まだそんなに知らね〜)
(テキトーに)
「サンパウロ」
と答えました。
「はぁ!!!!?」
「お前はテキだ!」
危うく、暴動になりそうでした。
(その辺のバーなのに・・・)
大男、5〜6人がその後ろに、、、。
その時は、コリンチャンス vs サンパウロが
テレビで流れており、サンパウロが勝利した瞬間でした。
コリンチャンスファンの彼ら、、、。
だから機嫌が悪かった。
サッカーを応援するチームひとつ、
口を滑らせすことはできません。
日本のように気軽な感じで
フロンターレファンの人に
「おれ、マリノス応援するね!」
って言えません。
その辺は細心の注意を払わないと・・・。
またひとつ学びました。
あと、同じ市内でも私なんかが踏み入れちゃいけない場所があります。
それが、ファベーラ。
スラム街のことです。
賑やかな市街から一歩先は、
いきなりといっていいほど街の景色が変わります。
そこに、私のような甘ちゃん日本人が
踏み入れようもんなら死を覚悟しなくてはいけません。
その死にかけた話は、また後ほど紹介します。
出歩くことで、ここには書けないような♡
他にもたくさんの経験をさせてもらいました。
そこでいろいろな経験を通して
語学習得のスピードが上がったことは間違いありません!
長くなったので、、、
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